今の石神井川(しゃくじいがわ)の水源(すいげん)を取り囲むように広がる、とても大きな遺跡です。
今からおよそ3万8000年から1万6000年ほど前までの(後期)旧石器(きゅうせっき)時代(じだい)の人が石を打ちわったり、みがいたりして作った道具(どうぐ)などが見つかりました。
旧石器時代は縄文(じょうもん)時代の前で、今よりもずいぶん寒(さむ)い気候(きこう)でした。人々は少人数(しょうにんずう)グループを作って移動(いどう)しながらくらしていました。
鈴木遺跡は現在(げんざい)の鈴木小学校を作るための工事現場(こうじげんば)で「発見」されました。
小学校の校舎(こうしゃ)を建(た)てる部分(ぶぶん)を重機(じゅうき)で掘(ほ)っていた作業員(さぎょういん)の方(かた)が、大きな溝(みぞ)のあとや不思議(ふしぎ)なトンネルのような穴(あな)を見つけ、市役所(しやくしょ)に報告(ほうこく)したのです。
市役所にはそれが何(なん)だかわかる人がいなかったので、加藤有次(かとうゆうじ)さんという市内に住(す)む大学(だいがく)の先生に相談(そうだん)したところ、それは江戸時代(えどじだい)の水車小屋(すいしゃごや)のあとだが、その場所(ばしょ)にはそれよりもずっと古(ふる)い時代(じだい)の遺跡(いせき)があるかもしれないから、発掘調査(はっくつちょうさ)をして調(しら)べたほうがいいと言(い)われました。
そこで急(いそ)いで準備(じゅんび)をして、3日間という約束(やくそく)で発掘調査にとりかかりました。昭和(しょうわ)49年6月末のことでした。
最初(さいしょ)の2日間は何(なに)も見つからず、3日目も終わろうとするころ、赤土(あかつち)の中でシャベルの先(さき)がカチリと1つの石(いし)に当(あ)たりました。
よく見ると焼(や)けたあとのある石でした。そこでその周(まわ)りを掘(ほ)ってみると、次々(つぎつぎ)に同(おな)じような石が見つかり、さらに石器(せっき)の材料(ざいりょう)となる石のかけらも出てきました。
今から3万数千年前にもさかのぼる、旧石器時代の遺跡、鈴木遺跡が「発見」された瞬間(しゅんかん)です。
かぎかっこをつけて「発見」と書いたのは、その7年前の昭和42年に、ほぼ同じ場所で遺物(いぶつ)を見つけた方がいて、「回田遺跡(めぐりたいせき)」という名前(なまえ)で報告されていたからです。
加藤先生はその報告を読んでいたので、発掘調査をしたほうがいいと考え、正式(せいしき)な発掘調査で、そこに遺跡が眠(ねむ)っていることを証明(しょうめい)するのに成功(せいこう)したのでした。
この発掘調査をきっかけに、小学校や道路(どうろ)、マンションなどの建設(けんせつ)があるたびに発掘調査が行われ、わが国の後期(こうき)旧石器時代を代表(だいひょう)する遺跡であることが次第(しだい)に明(あき)らかになっていきました。
平成(へいせい)24年3月には東京都(とうきょうと)の史跡(していしせき)に指定されました。令和(れいわ)3年3月には、国史跡(くにしせき)に指定されています。
昭和49年、鈴木小学校を作るときに見つかった鈴木遺跡から出てきた旧石器時代の石器(せっき)や縄文時代などの落とし穴(あな)などが見られます。
小平市鈴木町1-487-1
電話番号(でんわばんごう):042-323-2233
午前10時~午後4時
月曜・火曜・木曜・金曜日(祝日・休日は開館)、年末年始(12月27日~1月5日)
無料(むりょう)