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食卓/ごはん炊き(小平市の昔話)

更新日: 2019年(令和元年)7月19日  作成部署:企画政策部 秘書広報課

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食卓

 昔の台所には、土間(どま)があったんだよ。かまども流しもみんな土間で、流しのわきには、大きな水がめが据(す)えてあったの。水道なんてないから、毎朝、井戸からくんだ水を、この水がめにためておくんだよ。食事をするのは、一段高くなった板の間で、きちんと正座して、ひとりひとり自分用の小さなおぜんで食べてたね。

 

 箱(はこ)ぜんといって、四角い箱にふたがついたものなの。箱の中には、はし箱や飯(めし)わんや汁わん、それに小皿なんかが入っていてね、食事のときはふたを裏返し、その上に中の食器をのせて食べるんだよ。食べ終わると、最後に空(から)になった食器にお茶かさ湯(ゆ)を注ぎ、たくあんでこすって、あとはすっかり飲んでしまうの。それで、そのまましまっておくんだよ。

 

 家族みんなが畳に座って、1つのちゃぶだいで食事をするようになったのは、戦後になってからだったね。今みたいに、いすに腰掛けてテーブルで食事をする洋風の暮らしが広まる前は、ほとんどの家でちゃぶだいを使っていたよ。

 

 今は、水くみの苦労もなくて、流し台の蛇口(じゃぐち)からいつでもお水が出るし、食事を運ぶのに、いちいちしゃがんだりしなくていいし、ほんとうに楽になったもんだね。

お膳のイラスト
 
釜でごはん炊くイラスト

ごはん炊き

 今から何十年も昔のことになるけれど、わたしが嫁入りしたころは、毎朝まだ暗いうちから起きて、かまどに火を入れるんだよ。水をくんで、お米を研(と)いで、それからご飯を炊(た)くんだけど、うちにはガスコンロなんて重宝(ちょうほう)な物はなかったから、燃料はまきだったね。マッチで火をつけるのが普通だったよ。でも、すぐに消えてしまうから、火をつけるのもたいへんだった。

 

 かまどのころは、ひと抱(かか)えもある大きなおかまでご飯を炊くのは珍しくなかったんだよ。よく「始めチョロチョロ、中パッパ」なんて言うけど、かまどは火加減が難しいんだよ。

 

 まきを入れすぎるとなかなか燃えないし、煙ばかり出て、目にしみて痛くてね。やっと燃えだしたと思ったら、今度は火が強くなりすぎたりしてね。ガスコンロのように火加減がうまくできないから、うっかりするとごはんが焦げてしまって、ほんとうにたいへんだったの。

 

 だから、初めてうちに電気がまが来たときは、とってもうれしかったよ。スイッチを押すだけでごはんができるなんて不思議でね、これで寝てる間にご飯が炊けるって、大騒ぎしたんだよ。ちゃんと炊けるか心配で、最初はずっとそばで見てる人もいたんだって。

 

 昔の炊飯器(すいはんき)は、おかまが二重になっていて、内がまと外がまの間に水を入れて使うの。今の炊飯器は保温ができるけど、昔のはそんなことはできなかったよ。炊きあがったごはんはおひつに移して、冬場は冷めないように、おひつをわらで編んだかごに入れて、それをやぐらごたつの中に入れておいたの。夏は、風通しの良いところに置いて、ごはんが傷まないように工夫していたんだよ。

 

 ガスコンロになったのは、戦後しばらくたってからだったね。今みたいに、簡単に火がつくんじゃなくて、昔のは、最初にマッチをすって、ガス栓(せん)をひねって火をつけるの。その間合いが難しくてね、ぼやぼやしてると火が消えちゃうし、栓を開くのが早すぎると、ガスがたまってボッと大きな火が出たりして、前髪を焦がしたこともあったよ。

 

 今思うと、大きなおかまで何升(なんしょう)もいっぺんに炊いたごはんは、ほんとうに何よりもおいしかった。今ではおこげの味も懐かしいね。

 

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こだいら ちょっとむかし(小平市の昔話)

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