小平市役所
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ただし、予算的な目途がついたからといって、万事うまくいくものではなかったようだ。プール建設にあたっては、用地の確保という大きな問題があった。多くの場合、新たに校地を拡張する必要があった。地主との交渉にはPTAはじめ、地域の尽力が大きかった。
二小に関しては、現在のプールの一部分及びビオトープ部分の校地拡張について、1964年から陳情を継続的に行っていた(『ひまわり8号』1970年2月10日)。その後、近隣地域の理解を得て土地問題が解決され、1970(昭和45)年にようやくプールが完成した(『小平第二小学校五十周年記念誌<文畬(ぶんよ)>』1979、28頁)。三小・七小・八小についても、プール用地確保に地域とPTAが尽力したことが、各周年記念誌やPTA新聞から確認できる。
以前、当時の二小PTA本部役員の方にお話を伺った。「学校が公的なものだからといって、市の用地係が土地を提供してくれと、いきなりいったって駄目なんです。地域の長老の方から、子供たちのためにひとつなんとかならないだろうかって、事前に話を通していただかないと。全ては人と人とのつながりで動いていくものなんです」とおっしゃられた言葉が耳に残る。このように学校の様々な整備に、地域やPTAの協力は不可欠な時代であった。
『ひまわり』では、プール開きの後、喜びいっぱいに学校プールを利用する児童の様子が伝えられている。また、毎年恒例となった文化委員会主催の「お母さんたちの水泳教室(三日連続開催)」の様子、プールの脱衣所や便所を早く設置してほしい、地域にもプールを開放できないか等の要望、プールができても思うように泳力が伸びないので、級を設置してやる気を喚起したほうがよいのではないかという、より充実した活用方法まで盛んに投稿されるようになった。(『ひまわり16号』1971年10月2日/『ひまわり20号』1972年10月9日)。
以上、かけ足で学校プールの設置の過程を追ってみた。校舎増築が先決で、本来ならばプールの設置など難しかった時期に、東京都の方針で急転直下、学校プールは急ピッチで整備された。しかし、そこに至るまでに行った地道な陳情活動、用地確保のための交渉など、地域やPTAが果たした役割は大きい。ひととおりプールが設置されると、今度は体育館設置に向けてPTAの活動の重点は移っていく。
プールにしても体育館にしても、あって当たり前と思われている既存の学校施設や制度の多くは、地域やPTAの活動の賜物である。そのことは無味乾燥な制度沿革史からだけでは見えにくい。その点、PTA新聞からは当時の保護者や地域が何を問題としたのか、それに対して具体的に何が話し合われ、どんな反対意見があったのか、具体的に誰が動き、子どもたちがどう喜んだのかなど、様々な息遣いを読み取ることができる。
PTAの先輩の記録であるPTA新聞には、現在起きている学校の様々な問題について、多くの手がかりが詰まっている。ご一読をお勧めしたい。