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市史編さんこぼれ話No.15 「豆腐屋のラッパの音は騒音か」

更新日: 2011年(平成23年)4月21日  作成部署:教育委員会教育部 図書館

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色音論

 音に歴史があるのであろうか。また色に歴史を探ることができるのであろうか。こんなことを考えながら、小平市史編さん室が所蔵している資料を見ていると、突然、資料に色彩が浮かび上がり、その紙背から音が聞こえてきたりする。

自然の音色

 その一光景が、高度成長期以前の小平の野良風景である。6月から7月にかけての麦秋の時期である。たわわに稔った麦穂の黄金色と、隣のサツマイモの緑色のコントラスが帯状に鮮明になる。農家の人が麦を刈ると、間作で、5月に苗を植えたサツマイモの青々とした茎が出現したのである。収穫の喜びと、苗の活着・成長の歓喜が一度にやってきた。その喜びは、人間ばかりではない。空にはヒバリが鳴き、牧歌的な光景が一面に広がっていたのである。

ヒバリの鳴き声

 そのヒバリの声は、どこまで響き、人々の耳を魅了していたであろうか。「木陰のない町」、恵泉女学園短大で学生とともに農作業に励んだある先生のことばである。陽の光をさえぎる建物や木々がない、平たい耕地が一面に拡がっていた。とすると、その鳴き声の拡がりは、他地域を圧倒していたことであろう。

共同性の音

 民俗学者・柳田国男は、『村のすがた』で音に言及している。緊急を知らせる木製の厚い板木の音は、自村(ムラ)が聞こえる範囲の限度で、丘を越えて他村へは響かなかったという。火事を知らせる火の見櫓に備え付けられた金属製の半鐘は丘を越え、他村へも届いた。板木が届く範囲が、わがムラの領域だったという。となると、小平のムラの範囲は山間部や丘陵地帯のムラよりも広範囲ということになる。ここでいうムラとは、人々の共同性・相互扶助が保たれている生活の最小単位である。

音への怖れ

 現在では、「音」で私たちの生活領域を区切る方法が失効しつつある。音にも自ずから歴史があり、それゆえに転換期があるはずである。その裂け目を私たちは、すでに通り越したようである。かつて私たちは、強風に震える梢の摩擦する音や、冬場に砂塵を巻き上げる風の音に恐怖しながら、その一方で危機を知らせる板木や半鐘の音にじっと息を殺しながら耳を傾けていたのである。それが、電車や自動車の轟く音で、自然の奏でる音や人々の発する音(声)への関心を失いつつある。

音への無関心

 さらに、いつしか「音」に無関心になり、排除するようになってきている。自然の音ばかりではない。金魚売りや鋳掛屋の声に耳を傾け、また豆腐屋のラッパの音に注意を払いながら夕食の準備に取りかかろうとしたことを、過ぎ去った過去に閉じ込めてしまったのである。その亀裂が高度成長期と軌を一にしているように思われる。

 1960年9月15日の新聞(『朝日新聞』都下版)に「豆腐屋のラッパの音」が、うるさいとの苦情記事が掲載されている。これは三鷹市の団地をはじめとする三多摩地区の団地での出来事であるが、小平の団地も例外でなかった。同様の記事が1965年の自治会誌(『小平市史近現代史料集第四集』所収)に掲載されている。

共同性の喪失

 私たちは、このような生身の人間が発する共同性を持った「音」を、もう許容できなくなってしまったのであろうか。柳田は、そのような音を拒絶するようになるとともに、人々は急におしゃべりになったという。用もなくことばを発する、無駄口が多くなったというのである。これも共同性の喪失なのであろうか。


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