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市史編さんこぼれ話No.20 「屋号のはなし」

更新日: 2012年(平成24年)1月19日  作成部署:教育委員会教育部 図書館

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小平市の郷土かるたに「屋号で呼び合う昔の小平」という札がある。青梅街道沿いに農業をしながら商売をした家を「農間商渡世(のうかん あきない とせい)」と呼んでいたと『小平町誌(小平町役場、1959年)』にある。

村では親元から独立して弟が家を構えることを「新家(しんや)」に出るといったようで、同じ名字の人が近くにいると「下駄屋の○○さん」「炭屋の○○ちゃん」と呼び合って便利にしていた。

自分で作ってそれを売る店には、下表のように村の人々が必要としている食料品や生活用具などを扱う店がある。技術そのものでは大工、木挽き、屋根屋などがある。

身分・地位をストレートにいった大尽(だいじん)、安楽さん、旦那さま、おかしら、長屋(長屋門の家)、首ふり(名主の次)はユニークだ。

場所・地名による横丁、寺西、鎌倉、山王はすぐ分かる。

昔のことを聞いた時に「○○さんのことを『横丁の○○ちゃん』という名前だと思った」と思い出話をしてくれた人があった。今でも若いお母さんが「にごり屋通り」っていうのがあって、よく分からないけれど当り前に思っていた…と聞いたのは面白い。


小平民話の会編『小平ちょっと昔(小平郷土研究会 1988年)』の中で私が紹介した新小平駅の近くのMさんの屋号の話を書いてみよう。


山王窪あたりは、上野の戦争(注)で敗れて逃げてきた人が多いんですよ。だから、刀なんか持ってる人うんとありましたね。あとで農家になったけれど、認知した当時は農家ではなかったからね。 一番向こうが仕立屋ですね。昔、こう、着物なんか縫った仕立屋、江戸の方の人だからね。その次が落花生(らっかしょう)屋、南京豆を煎ってたんです、庭でね。その次が足袋屋、その次が紺屋、それからこっち側へ来て玉がわ屋、玉子屋です。それから提灯屋、鍋屋、鍋なんか売ってた。それから竹屋ね。そういう屋号で今もってわれわれは、そう呼んでるんですよ。今は農家やったりしてるけれどね。その頃はここへ来たてだから、そういうので生計をたててたわけですよね。(小川町・M42年生 男)

(注)明治維新における戊辰(ぼしん)戦争のこと。官軍と彰義隊(しょうぎたい)が上野の山で戦闘を行い、彰義隊が敗れた。

もう一つ、つい最近聞いた話です。


私の主人に聞いたんですが、「はくらくさん」という屋号の家がすぐ近くにあるんですって。昔ね、天皇陛下が行事の時にのる白い馬がいるでしょ。その馬につける白い鞍を作ってた家の屋号なんですって。(小川町・S5年生 女)

「はくらくさん」そんな屋号の家ありましたね。馬の医者・・・上手な獣医さんの家だったか。(小川町・S13年生 男)

私は大正元年生まれの母から、こんな話を聞いたことがあります。 家の何代か前の人が獣医をしていて、その腕前を殿様に見込まれ、「江戸に来るように」って言われたんですって。そしたら「自分の名字をおいていくわけにいかない」っていうんですって。そして近くの人が「家の名字でよければ・・・」と言ってくれたので、それからはKではなくMという名字になったんだそうです・・・と。(小川町・S9年生 女)

屋号などの例
  食料品 ・生活用具・ 技術   身分・地位 場所・地名   そ の 他
豆腐家     仕立屋   種 屋 大尽(兵右衛門大尽) 横 丁 や ど 屋
にごり屋    綿 屋   より屋 安楽さん 寺 西 吉 見 屋
酒 屋     傘 屋   あい屋 旦那さま 鎌 倉 木 村 屋
そうめん屋  提灯屋   かご屋 おかしら 根古坂 大 沢 屋
せんべい屋  土かま屋  つけ木屋 長 屋 山 王 慶 徳 屋
こんにゃく屋  炭 屋   油 屋 首ふり 福 田 屋
万頭屋     まき屋   玉子屋 な る せ
菓子屋     棒 屋   桶 屋 喜右衛門(キエム)さん
下駄屋     車 屋   鍋 屋
わらじ屋    あみ屋   うどん屋

お問合せ先

〒187-0032 
小平市小川町2-1325

中央図書館

電話:042-345-1246

FAX:042-345-1483

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