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更新日:2015年3月24日

作成部署:地域振興部 文化スポーツ課

小平市で初めて見つかった弥生土器

 鈴木遺跡は現在でも発掘調査が続けられています。

 平成25年、鈴木遺跡の北側の部分で行われた調査では、黒曜石でできた台形様石器(だいけいようせっき)と呼ばれる石器や、大きな槍先(やりさき)など、鈴木遺跡ではこれまであまり見つかっていなかった旧石器時代の貴重な石器などが見つかりました。

 一方、平成26年から始まった遺跡の南側の部分の調査では、石神井川に向かって延びる小さな谷が確認されましたが、その谷を埋めていた黒い土の中からは、小さなかけらですが、小平では初めてとなる弥生土器が見つかりました。

 弥生土器を研究している人に詳しく見てもらったところ、弥生時代の終わりごろに埼玉県の一部から多摩地域に見られる、吉ケ谷式(よしがやつしき)と呼ばれる、珍しい種類の土器であることもわかってきました。

江戸時代の田んぼのあとの発見

 またこの黒い土の上には、鈴木遺跡のこれまでの調査では見慣れない灰色の土の層が10センチほどの厚さで平らに広がり、その下には水路のあとも見られました。

 よく調べると、灰色の層は昔の田んぼの土だったことがわかり、市内の発掘調査で初めて田んぼのあとが確認されたことになります。

 この場所は江戸時代の中ごろ、徳川8代将軍吉宗の命令で武蔵野の開発がおこなわれて、人が暮らし始めた新田の一つで、廻り田新田(めぐりたしんでん)と呼ばれたところにあたります。

 「新田」は新しく開拓された土地という意味です。また、「廻り田」の名は、今の東村山市にあった廻り田村の人たちがもともと馬の飼料となるまぐさや堆肥(たいひ)の材料となる草を刈り取っていた縁で、この村の人たちが開発に携わったことにちなみます。

 ですから田の字が二つも付いていますが、元来田んぼがあった場所というわけではなく、開発された後は雑木林や畑が広がっていたようです。

「鈴木新田」と「廻り田新田」の田んぼ

 廻り田新田の隣りには、同じころ開発された鈴木新田がありました。

 ここには今では住宅が立ち並んでいてその面影をうかがうことはできませんが、開発以来、小平では珍しくまとまった面積の水田があり、「鈴木田んぼ」と呼ばれていました。

 その水田を潤す水は、玉川上水からの分水によるもので、廻り田新田の中をとおって鈴木田んぼに導かれていました。

 江戸時代の古文書(こもんじょ)を調べると、今から150年ほど前の天保(てんぽう)8年(1837)頃には廻り田新田にも水田が設けられていますが、これは、この水路に沿って畑を田んぼに変えたものと思われます。

 この田んぼは、明治41年(1908)に玉川上水から水を引くのをやめるまでのおよそ70年間営まれていました。

地形から考える地域の歴史

 発掘調査の結果、この水路や田んぼは、はじめに書いた小さな谷に沿うように作られていることが確かめられましたが、それは、この部分が江戸時代には周りよりも窪んだ地形だったためだと思われます。

 また弥生時代にはもっと深い窪地だったと考えられるので、稲作を主な生業とするようになった弥生時代の人が、ここで水田が作れるのではないかと、調べに来たのかもしれません。

 同じ発掘調査地点で、小平では珍しい水田のあとと弥生土器のかけらが見つかったこととは無関係でなく、新しくわかった旧石器時代の小さな谷によって結びつけることができるのです。


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