トップ > 市報こだいら > 2018年 > 市報こだいら:2018年3月20日号 3面(抜粋記事)

市報こだいら:2018年3月20日号 3面(抜粋記事)

更新日: 2018年(平成30年)3月20日  作成部署:企画政策部 秘書広報課

  • ツイートする
  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

田中が愛した地 小平

昭和45年、田中は台東区上野桜木町から小平市学園西町に移り住みます。

昭和54年に107歳で亡くなるまでの約10年間を小平で過ごしました。

田中が過ごした小平での暮らしを、家族として一緒に過ごした平櫛館長が紹介します。


平櫛田中彫刻美術館 館長 平櫛弘子

田中の孫。

田中が107歳で亡くなるまで、彫刻制作や身の回りの世話など、生活を支えた。

平櫛田中作品の唯一の鑑定者。

大好きな玉川上水

鏡獅子制作の合間に、田中は「小川新田(当時の小平の地名)に行こう」と言って子どものころの私や家族を連れて、何度も小平の玉川上水を見に行きました。

ちょうど鏡獅子の制作を再開した昭和20年代後半のころからです。

今思うと、このときから将来小平に住もうと思っていたのかもしれません。

小平に住む

97歳という高齢で、突然小平に住むと言った時は驚きました。

体が弱かった私の母(田中の娘)が住みやすい環境を望んでいたことや、家の設計をした建築家、大江宏さんとの出会いがきっかけですが、大好きな玉川上水や、武蔵野の雰囲気がある小平に住みたかったのではないでしょうか。

晩年、「小平はいい」とよく言っていて、とても気に入っていた地でした。

梅が見える居間

上野の家はアトリエ主体の造りに対して、小平の家はゆっくり過ごすために造られています。

白梅が好きだった田中は、居間のこたつから梅の木が見えるよう母屋(居間のある建物)の位置を決めました。

居間に面した庭を担当したのは、柴又帝釈天を手がけた永井楽山(らくざん)さんです。

「ここにこの花を植えたい」「ここに花を植えたら変だ」時には激しく意見をぶつけ合いながら庭造りは進みました。

田中は100歳近く、楽山は80歳代。お互いのこだわりがぶつかり合います。

庭の東側は、私の母がベッドから庭の景色をいつでも見られるよう、椿やあじさい、梅などの鮮やかな花を植えました。

庭には田中の思いが詰まっています。

生涯現役を貫く

「六十、七十は鼻たれ小僧。男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから。」

田中が好んで使った言葉のとおり、100歳を超えても創作活動や趣味を楽しんでいました。

彫刻材

100歳になった田中は、これから作る作品のための彫刻材として30年分制作できる巨木を購入しました。

現在、当時購入した木材のうちの1本が飾られています。

アトリエ

家の建設当初、アトリエはなく、彫刻制作は上野桜木町まで通っていました。しかし、上野までの移動が大変なこと、家でも創作をしたいという想いから、アトリエを増築しました。五十鈴老母は、このアトリエで104歳の時に完成させました。

田中は、縁側や居間で庭の景色を楽しみながら、のんびりと書を書くことを好んでいました。晩年、107歳の時まで体を起こして文字を書き、創作への情熱を絶やすことはありませんでした。

文字の研究

中国の古い書体などを研究し、ノートに文字のかたちをメモして残し、書作品の制作の参考にしていました。

旅行

日本芸術院会員に与えられる国鉄のパスポート(国鉄の電車賃が無料になる)を使い、100歳でも旅行を楽しんでいました。旅行中は家族宛てに手紙を書き、いつも家族を大切に思っていました。


お問合せ先

〒187-8701 
小平市小川町2-1333 市役所3階

秘書広報課広報担当

電話:042-346-9505

FAX:042-346-9507

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?

よりよいコンテンツ作成のための参考とさせていただきます

検索したい文言を入力してください

ページトップに戻る