小平市役所
法人番号:2000020132110
〒187-8701 東京都小平市小川町2-1333
代表 042-341-1211
昭和45年、田中は台東区上野桜木町から小平市学園西町に移り住みます。
昭和54年に107歳で亡くなるまでの約10年間を小平で過ごしました。
田中が過ごした小平での暮らしを、家族として一緒に過ごした平櫛館長が紹介します。
田中の孫。
田中が107歳で亡くなるまで、彫刻制作や身の回りの世話など、生活を支えた。
平櫛田中作品の唯一の鑑定者。
鏡獅子制作の合間に、田中は「小川新田(当時の小平の地名)に行こう」と言って子どものころの私や家族を連れて、何度も小平の玉川上水を見に行きました。
ちょうど鏡獅子の制作を再開した昭和20年代後半のころからです。
今思うと、このときから将来小平に住もうと思っていたのかもしれません。
97歳という高齢で、突然小平に住むと言った時は驚きました。
体が弱かった私の母(田中の娘)が住みやすい環境を望んでいたことや、家の設計をした建築家、大江宏さんとの出会いがきっかけですが、大好きな玉川上水や、武蔵野の雰囲気がある小平に住みたかったのではないでしょうか。
晩年、「小平はいい」とよく言っていて、とても気に入っていた地でした。
上野の家はアトリエ主体の造りに対して、小平の家はゆっくり過ごすために造られています。
白梅が好きだった田中は、居間のこたつから梅の木が見えるよう母屋(居間のある建物)の位置を決めました。
居間に面した庭を担当したのは、柴又帝釈天を手がけた永井楽山(らくざん)さんです。
「ここにこの花を植えたい」「ここに花を植えたら変だ」時には激しく意見をぶつけ合いながら庭造りは進みました。
田中は100歳近く、楽山は80歳代。お互いのこだわりがぶつかり合います。
庭の東側は、私の母がベッドから庭の景色をいつでも見られるよう、椿やあじさい、梅などの鮮やかな花を植えました。
庭には田中の思いが詰まっています。
「六十、七十は鼻たれ小僧。男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから。」
田中が好んで使った言葉のとおり、100歳を超えても創作活動や趣味を楽しんでいました。
彫刻材
100歳になった田中は、これから作る作品のための彫刻材として30年分制作できる巨木を購入しました。
現在、当時購入した木材のうちの1本が飾られています。
アトリエ
家の建設当初、アトリエはなく、彫刻制作は上野桜木町まで通っていました。しかし、上野までの移動が大変なこと、家でも創作をしたいという想いから、アトリエを増築しました。五十鈴老母は、このアトリエで104歳の時に完成させました。
書
田中は、縁側や居間で庭の景色を楽しみながら、のんびりと書を書くことを好んでいました。晩年、107歳の時まで体を起こして文字を書き、創作への情熱を絶やすことはありませんでした。
文字の研究
中国の古い書体などを研究し、ノートに文字のかたちをメモして残し、書作品の制作の参考にしていました。
旅行
日本芸術院会員に与えられる国鉄のパスポート(国鉄の電車賃が無料になる)を使い、100歳でも旅行を楽しんでいました。旅行中は家族宛てに手紙を書き、いつも家族を大切に思っていました。