小平市役所
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〒187-8701 東京都小平市小川町2-1333
代表 042-341-1211
市報こだいら2面の記事を抜粋して掲載します。
今から約170年前、現在の鈴木町地区に一つの文化が誕生しました。
現在も変わらず愛され、演じられている鈴木ばやし誕生の物語を紹介します。
鈴木ばやしは、小平市内の鈴木町地区に伝わる郷土芸能で、別名「鈴木流若ばやし」とも言います。
江戸時代末期の弘化4年(1847年)ごろ、小平の青年教育の先駆者と言われ、鈴木新田の有力者であった深谷定右衛門(ふかやじょうえもん)が普及させました。
当時、若者たちの間には賭博や深酒などの乱れた風潮があり、それを嘆いた深谷定右衛門は、若者の健全な娯楽として江戸祭囃子を広めました。
江戸祭囃子は、江戸時代中期ごろに創作された葛西囃子をもとに生まれ、若者の不良化防止に役立つと考えた当時の関東代官によって推奨されました。
そして、さまざまな流派に分かれて江戸市中や村々に広まっていきました。
鈴木ばやしは、深谷定右衛門が田淵(現在の杉並区阿佐ヶ谷)に住む横川初五郎から伝授された江戸祭囃子を、当時の鈴木新田で奨励し、伝承者たちが広めたことから始まりました。
伝承者として二代目の深谷運平は笛の名人と言われ、神田明神の祭礼で披露した技が称賛されるとその名は広がり、鈴木流の一派をなすようになりました。
そして、鈴木ばやしは近隣の村に広がっていきます。
明治22年(1889年)、7つの村(小川村、小川新田、大沼田新田、鈴木新田、野中新田与右衛門組、野中新田善左衛門組、回田新田)が合併して小平村になった当時、それぞれの村にお囃子が伝承され、村人たちに演奏されていました。
鈴木ばやしは、笛1人、締め太鼓2人、大太鼓1人、かね1人の5人で演奏することから五人囃子と言われています。
この形は江戸祭囃子の特徴で、江戸時代中期に確立してから現在まで守られています。
笛は、囃子全体を先導する役割を持ち、締め太鼓は2基の小太鼓で右側の太鼓は左側の太鼓よりも二音階高く調律しています。
大太鼓は笛のリードに従い、締め太鼓の調子に合わせて合間に打ち込んでいきます。
かねは、ほかの4人が調子よく演奏できるように助ける役割を担っています。
祭りやイベントなどでは、5人で交代しながら演奏していきます。
曲は、お祭りの雰囲気をにぎやかにするようなテンポが速く勇壮なもの、祭礼などで厳かにゆっくりと演奏される曲など、さまざまあります。
そして、奏でる曲に合わせひょっとこや獅子舞、おかめなどが舞います。
曲や舞には、豊作への祈りや感謝、魔を払う、家内安全など日常生活への願いが込められています。
そのため、舞の動きも日常生活の動きを模して面白く、にぎやかにしたものが多くあります。
獅子は、伝説上の霊獣とされ、天下泰平と万民の幸せを祈って踊ります。
激しく勇壮な動きをしますが、この獅子に頭をかんでもらうと健康で賢くなるという言い伝えがあります。
白ぎつねと赤ぎつねの踊りがあります。
白ぎつねは修行を積んだ神の使者で、赤ぎつねは修行前の野生のきつねです。
子どもを育てる母の優しさを表現する動きが多くあります。
曲によって手踊りや、赤ん坊に見立てた獅子頭を持ち、寝かしつけるしぐさをします。
かまどの火を吹いて守る火男(ひおとこ)がなまって、ひょっとこと言う説があります。
日常生活のしぐさからとった動きで、にぎやかな曲でおどけた舞をします。
種まきやくわを使った農作業、水くみなどの日常生活のしぐさをまねて、からかうような動きで舞います。
種まきや収穫など、農作業の場面に多く登場します。
酒が入ったとっくりを持ち、豊作の喜びを表現するなど、五穀豊穣の願いが込められています。
般若(はんにゃ)がなまって、がんにゃと呼ばれたとする説があります。
勇ましい曲に乗って、悪いものをやっつける魔よけの願いを込めて舞います。