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市史編さんこぼれ話No.14 「最後の醤油絞り」

更新日: 2010年(平成22年)11月19日  作成部署:教育委員会教育部 図書館

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吉田家の醤油作り

あかしあ通りと青梅街道の交差点に近い吉田家では、昭和60年代まで自家製の醤油を作っていた。恐らく最後の醤油絞りになるだろうと聞いて見学したのは昭和63年4月のことだった。

その数日前に訪ねたら、当主の吉田艸楽(そうらく)さんは大きな甕(かめ)に仕込んであるモロミの蓋(ふた)を開けて見せてくれた。

蒸した大豆と炒って砕いた小麦に種麹、水、塩を混ぜ合わせたモロミを通常は1年寝かせて絞るが、吉田家では2年寝かせて絞っているとのこと。

「そうすれば、市販の醤油のようにカラメルで色をつけなくとも濃い醤油の色が出るんだよ」と艸楽さん。当時80歳だった。

家業の畑仕事は長男夫妻にバトンタッチしていたが、モロミのお守り役は艸楽さんの日課だった。「1日に1回底からかき混ぜてやらないとカビが出てきたり、膨張して甕(かめ)からあふれ出してくるんで、さぼれねぇ」と話していた。

一番絞りができるまで

いよいよ醤油を絞る日がやってきた。

昭島市の小川里司さんが「フネ」という昔ながらの醤油絞り器や火入れの釜一式を運んできた。

「フネ」は木の四角い風呂桶ぐらいの大きさで、レバーを回して圧力をかける万力(まんりき)がセットされている。

「フネ」という醤油絞り器を初めて見た。使い込まれ、ピカピカに洗い磨かれていた。

小川さんは元々自家製の醤油作りのために「フネ」を特注して、農業の副業として近隣の農家の醤油絞りも請け負うようになった。

昭和30年代頃まではモロミを仕込んでいる農家が多く、1日に2~3軒かけもちで回り、一年中休む暇がなかったという。

40年代以降はさすがに醤油絞りの仕事は急速に減って、農家でも全国ブランドの工場製醤油を使うようになってしまった。「昔はその家の醤油の味があってね」と小川さん。

艸楽(そうらく)さんが2年間お守りをしてきたモロミを片手鍋で大胆にすくって、厚手の木綿袋に満たして口を閉じ「フネ」に横積みしていく。

その積み上がった袋の上に落とし蓋をして、小川さんが渾身(こんしん)の力で万力(まんりき)のレバーを回すと、圧力がかかる仕組みだ。

「フネ」の底に開けた口から、生醤油が最初はチョロチョロ、やがてトクトクと流れ出してきた。これが一番絞りだ。

びん詰め

木のたらいで受けた生醤油(きじょうゆ)を釜に移して、薪でトロトロと温めると、アミノ酸の匂いというか醤油特有の香りが辺りに立ち込め、胃袋を刺激してたまらない。香りを嗅いだだけで生唾(なまつば)がゴックンとなった。

沸騰させると折角の味も香りも飛んでしまうから、火入れも注意が必要だ。火入れは殺菌と保存に欠かせない。こうして沸騰寸前で火からおろして自然に冷ます。冷めてから一升びんに詰めると、これぞ正真正銘(しょうしんしょうめい)の無添加の醤油が誕生する。

二番絞り

木綿袋に残ったモロミかすに水を加えて、同じ工程を繰り返した二番絞りも塩分が多少きついが、味や色はほとんど変わらないそうだ。「煮炊きするには二番絞りがいいと言う人も」と艸楽(そうらく)さん。

吉田家の甕(かめ)は1石仕込みで、一番絞りと二番絞りを合わせて一升びんに80~90本出来上がる。最近ではとても家族で使いきれないので、親類に分けたり、吉田家の醤油ファンもいるとのことだった。

最後の醤油絞りと醤油人気

小川さんは「私も70歳を越して、力仕事もきついやね。今年で醤油絞りの仕事も最後かな」とポツリ。そのホッとしたようで、一抹(いちまつ)の寂しさを浮かべた顔が忘れられない。

醤油は海外でも人気が高まりグローバル化している一方、日本では調味料の消費ナンバー1の位置を数年前に“だし醤油”に取って代わられたそうだ。


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