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彫刻用クスノキ原木

更新日: 2021年(令和3年)3月31日  作成部署:地域振興部 文化スポーツ課

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彫刻用クスノキ原木

平櫛田中彫刻美術館のシンボルとなっている彫刻用のクスノキの原木です。

記念館前庭に展示しています

切ったばかりの木は水分を多く含んでいるため、そのまま加工すると水分が乾燥する過程でひび割れてしまいます。そのため、木を彫刻の材料として使うためには、時間をかけて乾燥させておく必要があります。

平櫛田中はこの大きなクスノキの原木を100歳のときに購入しました。この原木で彫刻ができるようになる頃、田中は120歳を超えていることになりますが、「まだまだ作りたい作品がある」と語っていたそうです。

100歳を超えても衰えることのない、平櫛田中の彫刻制作にかける意欲を感じられるエピソードです。

 クスノキ

クスノキは暖かい地域で育つ常緑樹で成長が早く、他の樹木に比べて幹が大きく太くなるのが特徴です。クスノキには樟脳油が含まれているため、虫を寄せつけず、耐久性、保存性が高いので、古くから家具などの材料として使われてきました。

軟らかくて加工しやすいクスノキは、彫刻の材料としても好まれ、「鏡獅子」など平櫛田中の大型作品にも使われています。

クスノキの選定をする平櫛田中(左)
「鏡獅子」制作中の平櫛田中

平櫛田中が作りたかった作品たち

 平櫛田中が100歳を超えて制作を構想していたのは、日本美術院の同僚で日本画家の横山大観の肖像、そして地唄舞の武原はんの肖像などでした。

横山大観

1868年(明治元)-1958年(昭和33)

茨城県出身の日本画家。東京美術学校の第一回卒業生。

平櫛田中と同じく岡倉天心に薫陶を受け、日本美術院の結成に参加し、天心没後には日本美術院の再興に尽力した。1937年(昭和12)に第1回文化勲章を受章。

明治、大正、昭和で日本画を革新し続け、近代日本画の一体系をつくった。

 

武原はん

左から二人目 武原はん

1930年(明治36)-1998年(平成10)

徳島県出身の日本舞踊家。上方の座敷舞を舞台芸術の域にまで高めた。

「動く浮世絵」とも言われる美しい舞姿は多くの芸術家をも魅了し、日本画家・小倉遊亀の作品のモデルにもなっている。

平櫛田中は作品の制作に向けて、武原はんの舞姿などの資料を準備していた。

 

お問合せ先

〒187-0045 
小平市学園西町1-7-5

小平市平櫛田中彫刻美術館

電話:042-341-0098

FAX:042-341-0098

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