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市報こだいら:2018年1月1日号 8面(抜粋記事)

更新日: 2018年(平成30年)1月1日  作成部署:企画政策部 秘書広報課

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こだいらちょっとむかし

あけましておめでとうございます。

新年恒例の「こだいらちょっとむかし」。

今年は市内にある駅や路線について、タマおばあさんに語ってもらいました。

昔は今からは考えられないほど、のんびりしたものでした。


西武国分寺線

鉄道が小平で一番早くできたのは西武国分寺線で、今から120年以上前なんだよ。当時は蒸気機関車(じょうききかんしゃ)で、国分寺から川越まで通っていたの。だから川越線と呼んでいたのよ。小川駅はこの時にできて、小平で一番歴史のある駅なんだよ。

開業当時の便(びん)は一日3本ぐらいで、車両は貨物車(かもつしゃ)と客車(きゃくしゃ)がついていたんだよ。 

煙突(えんとつ)からポッポ、ポッポと黒い煙を出して走る姿を見て、汽車(きしゃ)ポッポと呼んだの。汽車が珍しいものだから、お弁当を持って、遠くから見物に来る人もいたそうだよ。 

汽車は、走っているとき煙にまじって火の粉もいっしょに飛ぶので、「火事が走ってきた」って、驚かれたんだって。線路近くの家では、火事になるのがこわくて、かやぶき屋根からトタン屋根に変えた家もあったんだよ。

実際に、線路脇の枯草(かれくさ)が燃えたことがあってね、小学生の子どもが見つけて消したんだよ。そのことで校長先生から呼びだされて、その子はとってもわんぱくで、てっきり怒られると思ったら、ほめられてびっくりしたんだって。

昭和の初めごろには、汽車は電車に変わって東村山駅までしか行かなくなったけど、汽車が川越まで走っていた名残で、ずっと川越線と呼ぶ人はいたね。鷹の台の駅ができたのは、戦後まもなくだね。

西武多摩湖線

西武多摩湖線は昭和の始めに通って、最初は電車じゃなくて、たった1両のガソリンカーが線路の上を走っていたの。速度が遅くて、人が走るぐらいなんて言う人もいたね。

当時は一時間に1本か2本ぐらいで、乗る人も少ないのに、四十二人乗(しじゅうににんの)りとみんな呼んでたの。それは運転手と車掌の「始終二人乗(しじゅうににんの)り」っていう冗談なんだけどね。

青梅街道駅の近くではよく脱線(だっせん)してね。車掌(しゃしょう)さんが萩山駅近くの保線区(ほせんく)(工夫の詰所(つめしょ))まで線路を歩いて、工夫さんを呼びに行くの。工夫さんは車両を棒で持ち上げて、元に戻したんだよ。

多摩湖線の駅は、今は4つしかないけど、昔は市内に2つもあったんだよ。玉川上水の近くには桜堤(さくらづつみ)駅があって、花見の時期はたくさんの花見客でにぎわったの。一橋学園駅はまだなくて、一橋大学駅と小平学園駅があったんだよ。

一橋大学駅は、開業当時は商大予科前駅という名前で、一橋大学駅に名前が変わったのは、昭和24年になるわね。場所は一橋学園駅南のロータリーにあったの。三角屋根のコンクリートで、小さいけどがっしりとしたつくりで、しゃれた建物だったわね。ホームも上りと下りがあって、単線の多摩湖線はこの駅ですれ違ったのよ。

隣の小平学園駅は、改札がある木造の簡単な駅舎で、ホームも片側しかなかったけど、駅の手前には花が植えられた花壇があって、家や動物のミニチュアが飾ってあって、とてもかわいらしかったね。この2つの駅は3、400メートルしか離れていなくて、あんまりにも駅と駅との距離が近いので、昭和41年に一橋学園駅に名前を変えて統合されたんだよ。

ほかにも、青梅街道駅と小平学園駅の間に厚生村(こうせいむら)駅もあったんだよね。

昭和30年ごろは乗る人もまだそんなに多くなかったから、乗り遅れそうな人がいると、車掌さんが待ってくれたよ。

当時の電車のドアは、手で開け閉めしたの。それを知らない人が、自動で開くものだと思っていて、ドアの前で待っても開かなくて、次の駅まで連れて行かれて困ったなんてこともあったんだよ。

駅の近くは舗装(ほそう)されている道路がほとんどなくて、雨が降ると、ぬかるんで大変だったの。小平学園駅には下駄箱があって、駅まではいてきた長靴を、電車に乗る前に短靴にはき替えたんだよ。ぬいだ長靴を下駄箱に置いていたけど、無くなることはなかったんだよ。


西武新宿線

西武新宿線も昭和の初めに開通したんだよ。 

小金井駅は小平なのに、なぜか小金井の名前がついているよね。それはね、小金井橋に近いということで、花小金井の名前が付けられたそうだよ。玉川上水の小金井橋沿いは桜の名所で、花見客が東京のほうからも鉄道でたくさん来ていたの。

でも、その当時は花見の時期以外は乗り降りする人があまりいなくて、草が生えちまうって、草小金井なんて呼ぶ人もいたね。ふだんは駅に駅員さんもいなかったんだって。


JR武蔵野線

武蔵野線ができたのは、昭和48年で、小平で一番遅くできた路線だね。

もともとは貨物線として使われていたけど、沿線に家が多くなって、人も運ぶようになったんだよ。最初は貨物列車のほうが多くて、電車は昼間は40分に1本ぐらいしかなかったの。朝だって、15分から20分に1本ぐらい。それが乗る人が多くなって、だんだんと増えていったんだよ。

武蔵野線は西国分寺駅から新秋津駅までは地下を通るんで、その間にある新小平の駅のホームは地面よりかなり下にあるね。平成3年に大きな台風がきたとき、新小平駅の線路が水没したことがあったの。水が引かなくて、2か月ぐらい西国分寺駅と新秋津駅の間が不通になってしまったこともあるんだよ。


タマおばあさんのお話はいかがでしたか。感想をどうぞお寄せください。

協力 小平民話の会

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