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市報こだいら:2019年1月1日号 8面(抜粋記事)

更新日: 2019年(平成31年)1月1日  作成部署:企画政策部 秘書広報課

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市報こだいら8面の記事を抜粋して掲載します。

こだいらちょっとむかし

あけましておめでとうございます。
新年恒例の「こだいらちょっとむかし」。
今年は江戸時代から小平を通る青梅街道と五日市街道のお話です。

青梅街道と玉川上水のはじまり

小平を東西に長く通る青梅街道は、新宿から青梅を通って、山梨県の甲府まで続いている街道なんだよ。
青梅街道は江戸時代のはじめ、江戸城を造り直すときに、青梅の成木(なるき)や小木曽(おぎそ)から御白土(おはくど)(石灰)を馬で運ぶために使われた道でね。
成木道、御白土街道とも呼ばれたんだって。
そのころ、小平のあたりはすすき野原だったんだよ。
そのあと、江戸の町に人がたくさん増えて、水が足りなくなったんで、多摩川の水を引いて、羽村から四谷まで玉川上水ができたの。
それで小平のあたりは玉川上水から用水をひいて、やっと人が住めるようになったんだそうだ。

青梅街道の馬の休み場所

小平は、青梅と新宿までの道のりのちょうど真ん中ぐらいで、江戸時代には青梅街道を通る馬の休み場所があったそうだよ。
今の西武多摩湖線の青梅街道駅から少し東側にある消防署の前あたりは、青梅街道が少し広くなっているね。
そこで、馬に水を飲ませたり、飼葉をやったりしたんだって。
昔は馬のひづめを守るために、わらで編んだ馬用のわらじがあって、そこで馬のわらじも替えたんだって。

用水と屋敷森(やしきもり)

青梅街道をはさんで南側と北側に用水路が残っているところがあるでしょ。
昔はその水を飲んだり、野菜を洗ったり、生活するのに使っていたんだよ。
だから家は用水に沿って、青梅街道の両側に立ち並んでいたの。
家の奥はずっと畑だったね。
このあたりは風が強いので家のまわりにたくさん風よけの木を植えていて、屋敷森と呼ぶくらいうっそうとしていたの。
けやきは大きくなって家を建てる時の材木になったの。
かしは硬いから、すきやくわなんかの棒に使ったよ。
ほかにも、いろんな木を植えていて、落ち葉はかき集めて、堆肥にしたね。
ひいらぎは魔除けにもなるっていって、垣根にする家が多かったよ。
ちくちくして痛いから、泥棒よけにもなったんだよ。

農作物を運ぶ道

小平は昔からさつまいもの本場でね。
中野の市場まで、青梅街道を通って運んだんだよ。
戦後の昭和20年以降になると、さつまいもだけじゃなくて、里芋、八頭(やつがしら)、麦なんかも共同で出荷するようになったの。
袋に詰めて、家敷の入口の所に置いておくと、トラックが集めに来たんだって。
青梅街道は小平を一直線に通っているんで、集めるのに便利だったのよね。

青梅街道と物売り

昔は今みたいにお店屋さんがたくさんなかったから、青梅街道にはいろんな行商人や芸人がやってきたんだよ。
毒消し売りは、富山のほうからくる薬屋さんで、年に1、2回来たね。
子どもたちに紙風船をくれるんで、みんな楽しみにしてたの。
羅宇屋(らうや)さんも来たよ。昔は、たばこをきせるっていう細長いパイプみたいなもので吸っていたの。
吸っているうちに、きせるがたばこのやにで塞がったり、割れたりするの。
羅宇屋さんは、蒸気できせるの穴を掃除したり、部品を交換するんだよ。
その蒸気のピーっという音で、羅宇屋さんが来たのがすぐに分かったね。
夏になると金魚売りがリヤカーを引いて、「きんぎょー、きんぎょー」って言いながら、通って行くんだけど、ガラスの風鈴もいっしょに売っていて、風鈴の音が鳴って、涼しそうだったよ。
秋になると、さんま売りが、「さんまこー」って言いながら来たね。いわし売りも「いわしこー」って言いながら来たよ。
このあたりでは海が遠いから、魚なんて、あんまり食べられなかったの。
それでさんまやいわしが食べられるのが楽しみだったね。
昭和の初めごろは、お正月になると、二人一組で三河万歳(みかわまんざい)が来たそうだよ。
一軒一軒、鼓(つづみ)を打ちながら、おめでたい言葉を言ってまわったんだって。
猿回しも小さな太鼓(たいこ)をたたきながら、猿を肩にのせてやってきたよ。
青梅街道はまっすぐだから、遠くからでもよく見通せて、行商人や芸人が一軒ずつ入っていくのが分かるんだよ。
それであとどのくらい経ったら、うちのほうに来るっていうのが分かるんで、みんな、わくわくしながら待ったもんだよ。

五日市街道と玉川上水

五日市街道は、小平では玉川上水に沿って、東西に通っているね。
五日市から高円寺あたりで青梅街道につながる街道で、昔は炭やまきを五日市のほうから江戸に運ぶのに使われたんだって。
だから、黒街道とも呼ばれていたの。
そのころは檜原(ひのはら)や奥多摩のほうで炭焼きが盛んでね。
五日市には炭やまきの問屋があって、まわりの村から集めて、江戸にたくさんの炭やまきが出荷されたそうだよ。
ガスや電気がなかったころは、炭やまきは暮らしに欠かせないものだったね。
それから玉川上水べりは、桜の名所でね。
お花見でとてもにぎわったそうだよ。
街道沿いの農家では、団子やぼた餅を作り、出店を出して、花見客に売ってたんだって。

タマおばあさんのお話はいかがでしたか。
ではまた来年、お会いしましょう。

協力
小平民話の会

問合せ
秘書広報課 電話042(346)9505

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2019年1月1日号 1面

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