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市報こだいら:2021年3月20日号 4面(抜粋記事)

更新日: 2021年(令和3年)3月20日  作成部署:企画政策部 秘書広報課

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市報こだいら4面の記事を抜粋して掲載します。

鈴木遺跡が明かす 大昔の小平

鈴木遺跡は鈴木町一丁目周辺にあります。
当時の人々の暮らしや、実際に出土したものを紹介します。

問合せ
文化スポーツ課 電話042(346)9501

当時の人々の暮らし

鈴木遺跡の場所に人々が住んでいたのは、今からおよそ3万8,000年前から1万6,000年前までの後期旧石器時代です。
このころは氷河時代で、地球全体が現在より寒冷でした。
中でも、最も寒かった約2万年前は、気温が今より7度から8度ほど低かったと言われています。
当時の人々は、農耕や牧畜などはせず、ナウマンゾウ、オオツノシカ、ヤギュウなどの狩猟を行ったり、自然にあるものをとったり集めたりして暮らしていました。
しかし、針葉樹が多く、食べられる木の実が少なかったうえ、土器や弓矢といった道具もなく、食物の入手は非常に困難でした。
このため、人々は2家族ほどの少人数のグループで生活し、食物を求めて住む場所を頻繁に移動しなくてはなりませんでした。
鈴木遺跡には当時、現在の石神井川の源流があり、水に恵まれた場所だったことから、人々の生活の拠点になり、交流の地であったと考えられています。

鈴木遺跡の地層

地層とは、火山灰などが下から順に降り積もったものです。
その中の人間活動が確認できるまとまりを文化層と言います。
鈴木遺跡では、12枚もの文化層があります。
ここから、長い年月にわたり鈴木遺跡が当時の人々の生活の拠点になっていたことがわかります。

鈴木遺跡年表

約1万6,000年~3万8,000年前
後期旧石器時代

  • 自然の水に乏しい場所の真ん中に、水が湧き出していたため、人々が繰り返し訪れ、拠点的な場所として利用されていた

約3,000年前
縄文時代

  • 石神井川の水源が東に移り、居住には適さない土地となるが、たくさんのおとし穴が作られ、狩猟の場として使われた

約1,200年前
奈良・平安時代

  • 水のない原野の中に、かやを刈る人たちの仮住まいとして1軒の竪穴住居が作られた(後に発見されて「八小遺跡」となる)

約166年前~約300年前
江戸時代後期~幕末

  • 武蔵野新田開発で鈴木新田が開かれる
  • 玉川上水の分水に粉ひき用の水車が仕掛けられ、後に大砲用火薬作りの水車となった

現代

  • 1969年
    八小遺跡が見つかる
  • 1974年
    鈴木小学校予定地で、鈴木遺跡が確認される
  • 2021年
    鈴木遺跡が国史跡に指定される

関連リンク

2021年3月20日号 5面

2021年3月20日号 目次

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小平市小川町2-1333 市役所3階

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電話:042-346-9505

FAX:042-346-9507

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